雑記 こころの隙間について
Dec 2, 2019 12:33
ますぐれです。最近競プロのことばっか書いていたんですが、今日は別のことを書きます。
こころの隙間
こころの隙間ってよく言いますよね。物寂しいときとか、なんか満足していないみたいなときに使う言葉です。 この表現が面白いなって思ったので、今日はこのことについて書きます。
こころの隙間って聞くと、ぼくは元からこころに隙間があるというよりは、前まであった何かがなくなって隙間ができたみたいなイメージを抱きます。
「じゃあ最初のこころは空っぽなのか?」というと、そういうことではないです。隙間というのは成長の過程でこころが変化していくことで生まれる気がしたんですよね。
つまり、最初は一人で完成していたこころが、かけがえのない経験や大切な人とのコミュニケーションを経る度にそれを受け入れるように変化し、その受け入れたものと別れることで隙間が生まれるんじゃないか、ということです。
経験の方を例にとります。
例えば何か素敵な経験をしたとしましょう。高揚、ドキドキ、感動。そんな胸がはち切れそうになるような初めての経験は、こころの形を変え、自分の大切な一部として入り込んできます。
しかし、初めてのときの感動はもう二度と味わえません。思い出すことはできても、同じ気持ちになることはできないのです。そして時間が経つにつれて回想から得られる感情は色褪せていき、その経験は砂の城が波に溶けるように徐々にこころの中から消えていきます。更に時間が経って思い出したとき、そこにはもう一欠片程の何かしか残っていないわけです。
そんなとき、人は自分のこころに穴が空いた、隙間ができたという風に感じるのだと思います。
こんなことを言うと、「人は何も経験をしない方が幸せなのか?」という問いが出てきそうですが、ぼくはそうではないと思います。こころが成長し、変形していくことで、世界に落ちている小さな幸せに気づけるようになると思うからです。
例えば、映画や本に感動を覚えるのは、彼らが経験していることと過去の自分の経験を抽象的に重ねているからでしょう。普段の何気ない日常に潜む幸せを見つけられるのは、その幸せの形が過去の経験が作った隙間と似ているからなのではないでしょうか。
ぼくたちはそういうものを見つけたときに、こころが満たされたと思うのでしょう。
終わりに
最近ちょっと卒論とかで忙しかったりして人と喋る時間がないので、頭の中にこういうポエムがいっぱい溜まっています。
その中でもこころを使った気持ちを表す表現はうまく繋げて解釈できるなあってなったのが上の話です。実は普遍的な話なのかもしれませんが、自分の中から発見できて嬉しかったので書きました。